〇〇の神様が祝福している、と思うときがある。 たとえば、原美術館でトゥオンブリーの絵をはじめてみたとき、絵の神様が祝福している、と思った。かつて作者によってキャンバスに定着させられた色が、線が、今もそこできらきらしていた。 高畑勲の「かぐや姫の物語」。かぐや姫が着物を脱ぎ捨て疾走するシーンでは、アニメーションの神様が祝福していると思った。絵が動き、魂がやどり、躍動することのよろこび。 坂本龍一と矢野顕子が連弾する東風。手に絆創膏をして、幸せそうな笑顔の矢野顕子と、その様子をやさしく一瞥する坂本龍一と、その音を、音楽の神様が祝福していた。 〇〇の神様がそれらを祝福するとき、同時に、わたしたちが生きることが祝福されている。だから胸がいっぱいになる。
訃報があるたび悲しくなって、これから慣れ親しんだ人が亡くなることがもっと増えるのに、耐えられるんだろうか、と思う。これまで大人はこれにどう耐えてきたんだろう。