池垣くん

楳図かずお漂流教室

人生が詰んだと思っているひとのことを「無敵の人」と言うけれど、わたしたちはいつかどうせ死ぬという意味においては全員「無敵の人」だ。その暴力的なまでの確かさを自覚し続けてはじめて、「無敵の人」としてのエネルギーをどう照射するかという問いに直面することができる。そうしてわたしたちの可能性は無限にひろがる、その無限にひろがった可能性を、いかに創造的な方向へと導いていくかだ。   わたしはよく、『漂流教室』の池垣くんのことを思い出す。防衛大臣として、怪虫を食い止めるために、腕をちぎられてもなお「みんな!!さいごまでやるんだっ!!」と立ち向かい、ぼろぼろになって死んでいった池垣くん。    わたしたちの目の前に怪虫はいない。だけどほんとうは、いつかどうせ死ぬという怪虫が、いつだってわたしたちの目前に迫っているんじゃないか。池垣くんが「さいごまでやるんだっ!!」と自分のすべてを奮い立たせて生きた、「無敵の人」としてのエネルギーを一挙に放った、あの瞬間を、何年、何十年と引き延ばしたその只中を、いつだってわたしたちは生きていると言えるんじゃないか。   池垣くんの目は、狂っていない、圧倒的に、正気だ。わたし、さいごまで、やるのよ

 

だけど一方で、いわゆる「無敵の人」という言葉で称される、あまりにも現実的で社会的な理不尽に直面しているひとびとの苦しみを矮小化してもいけない。それらも含みこんだ上でどうやってわたしたちはさいごまでやっていけばいいのか。人生と世界はわたしたちにあんまりにも重たいですね