わたしと一緒にいるひとが涙する。わたしといると涙する。自己中心的な言動によって、悲しい思いを生み出すわたしには、ひとと生きる資格がない。そうしてわたしはまた本を手にとる、バディウを、ホネットを、奥村隆を。「ひとと生きるにはどうしたらいいの」その答えが知りたくて。  東京国立近代美術館の『中平卓馬 火―氾濫』の最後の部屋では、風でフェンスの向こうへ飛ばされてしまった帽子を、制止を振り切って取りに行こうとする晩年の中平の映像が流れていた。手をつなぎながら映像を鑑賞していた老夫婦は、その映像を観ながら「動物みたい、自己中心的ね」とつぶやいた。そうして老夫婦はわたしのほうへ振り返るとこう言った、「お前もだよ。本を読んでいれば知的な人間のふりができると思ったか?お前も動物のように自己中心的な野蛮人だ、お前は野蛮人だよ」   目の前のひとを受け止めることができず、本へと逃走するわたしは、誰とも手をつないではいけない。だけど、制作と理論の狭間で、主観と客観の狭間で文字通り記憶を失い、老夫婦に「自己中心的ね」とこぼされた晩年の中平は、それはそれは直接世界に触れたような作品を撮っているんだ。徹底して利己的な人間こそ、利他的な人間に成り代わり得るとは言えますか。徹底した〈わたし〉こそが、他者へとひらかれるとは言えますか。

 

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