まきもどしして

ceroの「contemporary tokyo cruise」を聴きながら街を歩くのがすきなのですが、このあいだ、新宿を歩きながらいつものようにこの曲を流していたらふと、「まきもどしして」のフレーズのあとにそれ以前のコーラス部分が逆再生されていることに気がついた。何度も何度も聴いていたのに気づかずにいて、そのときふいに気がついた。これは、過ぎ去っていったひと・もの・ことへの鎮魂歌なのかもしれないとおもった。

 

いかないで光よ

わたしたちはここにいます

まきもどしして

いかないで いかないで わたしはここに

ここにいるのに

うみなり かきけす

うみなり かきけす

まきもどしして

 

まきもどしして  季節ごとに女のひとの唇で輝く新しい色の口紅。  百果園の果物のにおい。  職場の飲み会の、いつのまにかできてゆく小グループの中で、無口な同僚の知らなかった一面に触れる瞬間、またその帰り道の来たときより少しだけ心地のよい風。  デッサンが終わったアトリエ、モデルが残したモチーフ台の布のしわに、やわらかく陰影をつける窓からの光。  対角線にいるためにイーゼルに隠れてこちらからはみえないクラスメイト。  18歳のお盆明け、実家から東京へ戻る東海道線から車窓を眺めていると涙でにじんでいく海。  庭のいちじくの樹。  浴衣をきて花火大会にゆくとき、わたしと妹を見送る祖父の眼差し。  日差しで熱くなった祖母の墓石へ、かけてもかけてもすいこまれていく水。

 

昔はよくわからなかった、「1年前のわたしと今のわたし、果たして同じわたしと言えるのか」という哲学の話が、今ではわかるような気がするくらい、それぞれのわたしたちから随分遠く離れて。逆再生の音楽が、それぞれのわたしたちを数珠つなぎにする。「わたしたちを忘れないで生きていってね」ここは新宿。それぞれのわたしたちをみんな知る、虎のおじさんが、自転車で通り過ぎていって、音楽は終わる。

 


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