わたしの責任とは、本質的に他人と分有されているものだ。なぜなら、危害はわたしたちの多くが容認された制度や実践の範囲内でともに行為することで引き起こされるもので、また、わたしたちの行為のなにが誰か特定の個人を苦しめている不正義のどの部分を引き起こしたのかを見定めることは、誰にも不可能だからだ。
アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』
ひとを裏切っているのに、月が綺麗で微笑んでしまった。 わたしは、わたしを蹴った男のひとへ「あなたが苦しいのはあなたのせいではない」と言ったのに、わたしが苦しいのはわたしのせいでなければたまらない。不条理は耐えがたい。苦しさの責任よ、すべてわたしに帰属してくれ。わたしが、わたしであるがゆえに苦しいのだと言ってくれ。