服は紺色

『今夜は最高!』より、戸川純

服は紺色がいい。紺色は、抑制的で、規範的で、自制的で、消極的で、貞淑で、欲深くなく、だけど上等で、黒よりも冷たく、白よりも静かで、わたしの心を平らにするから。そして、紺色の服を着るときは、そこに「裂け目」があることが重要。

ボードリヤールは、モードというゲームのなかでは、身体の「まぼろしの切断」、つまりは身体を線で区切る行為そのものが、欲望の対象としての身体の幻想化をもたらすという。ネックレス、指輪、長手袋、腕を締めつけるブレスレット、踝に巻かれたアンクレット、そして素肌をちらちらさせる袖口、胸元、スカートの裾・・・。そう、衣服がぱっくり口を開けているところが、身体の「裂け目や断層や傷口や孔」にとって代わるのだ。・・・それらのすべては、タブー視されている身体の秘密の際にますます近づくことによって、身体を侵犯するようにみえてじつは逆にそれを回避する。記号が作用するその論理にますます深く組み込まれることによって、である。

鷲田清一『ひとはなぜ服を着るのか』

隠蔽しながら強調する、誘惑しながら拒絶する、保護しながら破損する、といったたがいに背反する運動、対立するヴェクトルが、衣服の構造のなかでしのぎを削っている。衣服の構造は両義的なものであって、ある構造化のプロセスは、かならずその裏面に、その運動を侵し、騙し、籠絡するようなもうひとつの運動をともなっている。

鷲田清一『モードの迷宮』

わたしは、鷲田清一のいう「裂け目」は、黒でも、白でもなく、紺色の服にあってこそ、引き寄せながら引き離す、その両義的な運動を強化するとおもう。はじめに言ったような、抑制的で規範的な・・・つまり「制服」としての要素が強い服に、「裂け目」が入ることになるから。

制服にはもう一つ、裏の顔とでもいうべきものがある。それは、制服へのいわば裏返されたまなざしであり、つまりは、規律への従順さを表わす制服が、まさにその従順さを凌辱するようなまなざしを呼び寄せるという側面だ。コスチューム・プレイや着せ替え、異性装、そしてセーラー服願望など、制服への執拗なフェティシズム。制服でもとくに規律性の高いものが、欲望への震えとでもいうべきものを誘いだすようだ。

鷲田清一『ちぐはぐな身体 ファッションって何?』

近寄ってみてはじめて絶対に触れてはいけないと感じさせるような、その相反する状態を、紺色の服とその「裂け目」として自分の表面に湛えておくことは、わたしを落ち着かせる。それは、わたしとあなたの境界線を維持しつづけるということ。わたしとあなたの境界線を、あなたに意識させつづけるということ。

わたしの紺色の服の先生は、『今夜は最高!』で、タモリ愛染恭子とともにコントをしたときの戸川純。紺色のすとんとしたワンピース。かわいらしい丸襟のブラウスは着崩されて、片方だけ肩紐からはみだしている。おそらく脚は黒いストッキングで覆われているけれど、腕の素肌はすべて露出している。ややだらしなくセットされた髪に、ひとを拒む、目。

 

 

ハイジのロッテンマイヤーさんも紺色の服だけど、首も手首も足首もすべて紺色に覆いつくされている。「裂け目」のない紺色は、権威主義的で、人を寄せ付けない。けれど、あのキャラクターはそうである必要があったのでしょう。