わたしが魔女の宅急便のあのいやなかんじの女の子だったとしたら、腹ぺこな夕食どきにおでんを届けにきたキキに対して「わたしおでんでご飯食べられないタイプなのよね」とぴしゃりと言ってしまうわけだけれども、お酒を飲んでいるときなら話は別で。久しぶりに友達とお酒を飲みに行った小さな居酒屋で食べたおでんはとてもおいしかった。      あのいやなかんじの女の子としてのわたしは、人に厳しい。たとえばエスカレーターを降りたところで立ち止まる人に。たとえば手に持った傘を振りながら階段をのぼる人に。どうして後ろの人たちが玉突き事故のようになることがわからないの?どうして、振った傘の先端が後ろの人のちょうど顔に向かっていることがわからないの?ただでさえ苛立っている往復の通勤時間100分を使って考えぬいた結果、それは知性がないからだ、とわかった。      わたしは知性とは、自分の中にアーカイブ化された経験や知識を参照してふるまいに反映できること なんじゃないかと思う。エスカレーターを降りたところで立ち止まる人は、手に持った傘を振りながら階段をのぼる人は、自分や他者がそれで困ったという経験や知識を蓄積し参照しふるまいに反映させることができていない、つまりそれは知性を働かせていないということだ。だからわたしすきじゃないのよね。あのいやなかんじの女の子としてのわたしは、知性が感じられない人に厳しい。        そんなことを通勤時間にかりかり考えているわたしはあの女の子というより普通にいやなやつで、そしてコロッケでもご飯を食べられないタイプで、「わたしは知性を抱いて生きていきたい」と友達に言うと、「あと優しさね」と諭された。わたしに足りないのは優しさだ。わたしたちは知性と優しさを抱いて生きてゆきたいのだ。それがわかって、加賀鳶を飲んで、おでんを食べた。


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『イニシェリン島の精霊』、まさに知性と優しさの象徴である妹シボーンが、みんなから馬鹿だと言われながらも人の優しさを尊重できるドミニクが、ほとんどギャグのように思えるおじさん同士の理不尽な喧嘩が勃発した島でどうなっていくのか・・・喧嘩を“戦争”と捉えたときにすごくおもしろくて、あとロバが最高にかわいいです