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さくらみたいにふわふわの白い犬を連れたおじさんが、道ばたで立ち止まり、空き地のさくらへ携帯のカメラを向けていた。    雨上がり、公園にできた大きな水たまりを、赤い傘をさしたままのおばさんがじっと眺めていた。赤い傘が水たまりに反射して、そのうつくしさの一部になっていた。    帰路、改札をでる大人たちがみな空を一瞥していた。クサカベのパーマネントホワイトでつくったような、黄味と濁りのあるピンク色をした空が、疲れの染みこんだ大人たちの目をじんわり明るくしていた。    なにかに注目するひとの眼差しの意味を想像するのがすき。だから花火や虹や雪の日がすき、ひとがなにを感じているかを想像できるから。ひとが感じていることを想像しているとき、わたしはかろうじて誰かとつながることができる。    けれどもはんたいに、わたしはなにかに注目するのが恥ずかしい。わたしがなにを感じているのかを、ひとに想像されてしまいそうな気がするから。さくらが咲いて、写真を撮るとき、そわそわしてしまう。だからわたしは二眼レフカメラが欲しい。眼差しが一直線じゃなくなるから。うつむいて、ひとりになって、気持ちを隠しておけるから。

かといって実際二眼レフを持ち歩いていたら目立つわけで、おとなしく携帯で撮る。