それは輝いていて、苦しい

空気人形(2009)-IMDb

子どものとき、車の後部座席に座らされ、夜の高速道路を走るとき、外へ目をやると、次々に通り過ぎていく街灯のオレンジ色のひかりがまるで自分たちと並走しているみたいに思えて、ずっと眺めていた。  子どものとき、雨の翌日にはかならず校庭の鉄棒のところへゆき、その下に沿うように垂れさがるしずくを指でなぞって、ぽたぽたと落とした。   いまでもときおり、なんらかの知覚を引き金として、子どものころの感覚が蘇る瞬間がある。そんなとき、生きているということの根底に触れているような心地が、全身にいきわたる。生きている上で感じるべきことに、これ以上のことはないのではないかと思う。わたしの奥の、奥の、いちばん奥に、世界がふれる瞬間。胸がはりさけそうになる。

 

ピカソの「子どもは誰でも芸術家だ」という言葉、きらいだったけれど、いまは少しわかる。いつでも子どもは感覚をひらいて、いちばん奥で世界とふれあっている。すぐれた芸術はどこか子どもで、わたしたちの胸のいちばん奥に、すっとふれてくるんだ。それは輝いていて、苦しい。