哀れなるものたち(2023)-IMDb

わたしが「わたし、ずっとこうして勉強したり研究したり制作したりして生きていたいです」と言うと、ひとが「そりゃあ誰だってそんなことができるならしたいでしょ」と笑う。「できるならしたい」けれども「しない」という、その「しない」判断をさせているものは何でしょうか。人生において「できるならしたい」ことをする以上に切実なことって何ですか。生活を支えなければいけないことは理解するのですが、水槽の中の脳の概念を親友にして生きてきたわたしにとっては、存在するかどうかも曖昧なこの社会のルールに付き従うかたちで「しない」判断を積み続けることが、自分という実存の何を担保しているのかがわからない。のたれしぬ自由があることは、わたしたちの絶望だとおもいますか、それとも希望だとおもいますか。わたしはいつも、いつも、渋谷の、バス停のベンチのことを想っている     それで、わたしが最近「できるならしたい」から「した」ことは、節分ではない日に豆を撒くということです。豆を撒く、あれはいい行為です。みんなの分も、福豆を買いだめておいたから、豆が撒きたいときは、わたしに言ってね

『哀れなるものたち』には、この不条理な世界を子どものように生きていく悦びと苦しみと希望がある。ベラは娼館で働くとき、客の男性に対して「子どものころの話をして、わたしはジョークを返すから」と言う。あのときのベラと男性の笑顔。存在するかどうかも曖昧なこの社会で、自分と他者と世界の切実さだけにひらかれていたい

 


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