それは輝いていて、苦しい

空気人形(2009)-IMDb

子どものとき、車の後部座席に座らされ、夜の高速道路を走るとき、外へ目をやると、次々に通り過ぎていく街灯のオレンジ色のひかりがまるで自分たちと並走しているみたいに思えて、ずっと眺めていた。  子どものとき、雨の翌日にはかならず校庭の鉄棒のところへゆき、その下に沿うように垂れさがるしずくを指でなぞって、ぽたぽたと落とした。   いまでもときおり、なんらかの知覚を引き金として、子どものころの感覚が蘇る瞬間がある。そんなとき、生きているということの根底に触れているような心地が、全身にいきわたる。生きている上で感じるべきことに、これ以上のことはないのではないかと思う。わたしの奥の、奥の、いちばん奥に、世界がふれる瞬間。胸がはりさけそうになる。

 

ピカソの「子どもは誰でも芸術家だ」という言葉、きらいだったけれど、いまは少しわかる。いつでも子どもは感覚をひらいて、いちばん奥で世界とふれあっている。すぐれた芸術はどこか子どもで、わたしたちの胸のいちばん奥に、すっとふれてくるんだ。それは輝いていて、苦しい。

 

 

わたしのしたいこと、紺色のロングコートを着て、紺色のモヘアのマフラーを巻き、脚を手塚治虫の描く女の子のようなフォルムにしてくれるブーツを履いて、お財布とハンカチと文庫本と櫛しか入らないサイズのバッグを持ち、ひとり電車に乗って、出かけてゆき、つめたい風に吹きあげられながら、知らないまちの空を見上げて、さみしい思いをすること。わたしはいつでも世界に片思いをしていて、世界と両想いじゃないって、思い知らされること。    でもこのあいだ、海がきれいな知らないまちの、定食屋さんでアジフライ定食を食べてお会計をしたとき、お財布から取り出した50円玉があまりにも真っ黒に酸化していたものだから、「真っ黒だけど50円玉なんです」と言いながら店員のおばあちゃんに差し出したら、「あら、真っ黒でもお金だわよ」と言って笑ってくれた。    世界はいつもわたしに思わせぶりな態度をする。諦めさせてくれないんだね

 

冬の青

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暴力的に青い冬の空を、翼のないホンダが見上げている、そのからだを同じ青でいっぱいにして。そこでなにを考えているの。    わたしは、自分のからだを、自分のものにしたい。行きたいところへ、行きたいときに、飛んでゆきたい。会いたいひとに駆け寄って、知りたいことを知り、苦しいくらいに胸をいっぱいにしておきたい。    照りつけるのに芯から冷たいアスファルトに、いつの間にかわたしもホンダと一緒に横たわっていて。わたしのブルーのリーバイス、大切に磨いたローファー、紺色に染めた睫毛が、冬の青になっていく。「どうして睫毛を紺色にするの」「紺色はわたしの瞳の補色だから」「もうきっと瞳も青になっているよ」 

 

苦しさの責任

わたしの責任とは、本質的に他人と分有されているものだ。なぜなら、危害はわたしたちの多くが容認された制度や実践の範囲内でともに行為することで引き起こされるもので、また、わたしたちの行為のなにが誰か特定の個人を苦しめている不正義のどの部分を引き起こしたのかを見定めることは、誰にも不可能だからだ。

 

アイリス・マリオン・ヤング『正義への責任』

 

ひとを裏切っているのに、月が綺麗で微笑んでしまった。    わたしは、わたしを蹴った男のひとへ「あなたが苦しいのはあなたのせいではない」と言ったのに、わたしが苦しいのはわたしのせいでなければたまらない。不条理は耐えがたい。苦しさの責任よ、すべてわたしに帰属してくれ。わたしが、わたしであるがゆえに苦しいのだと言ってくれ。

 

 

誰そ彼は

チャコールグレーの、20デニールのタイツを履くとき、肌色が透けて見える、その、オレンジとグレーの混ざったような色は、どういうわけか青みも感じる、まるで濁った夕焼けのようなんだ。わたしは、スリットの入ったスカートを履き、裂け目の中の、濁った夕焼けを。眺めている、駅前のベンチ。ここへ迎えにきて、お願いだから、放っておいてくれ。

 

嘘つきの眼

夕方、電車の窓際に立つときは、西日を眼の奥までいれてあげる。水晶体を光が貫通する。眼の底がよろこんでいるのがわかる。わたしの眼はひとより色が薄めで、茶色と、緑色と、黄色と、灰色を混ぜたような色をしている、だからなのか、世界がいつも眩しい。   ところでわたしの眼は視神経の異常があるために、緑内障になりやすいそうなのです。それで、毎年視野検査をするのですが、視野検査って、知っていますか、薄ぼんやりとした画面の一点を見つめながら、視野のどこかで一等星から四等星くらいの光を感じたら、持っているボタンを押すというもの。眼医者さんはいつも言う、「あなたの回答には嘘がなく信憑性は100%」と。薄暗い部屋で小さな丸椅子に座り、点滅する光を感知するとき、あのときほど、わたしという人生や記憶をかかえた個人を忘却して、ただただ知覚をすることってないの、わたしそれをメルロ=ポンティに教えてあげたい。ねえ、鷲田めるろのお父さんが鷲田清一だって、みんな知っていたの、知っていたなら、教えてよ、わたしの眼を見て、おまえは噓つきだと、言って、言ってよ